ゆるふわSEの日常♪

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【雑談】世界で一番愛する人を失った時の気持ちを整理してみたんだ~この美しき残酷な世界の話~

おはこんばんちは!ゆるふわSEの「ちょここ」です(*´ω`*)

突然ですが、皆さんには愛する人はいますか?

家族、友人、恋人。誰でもいーですが、愛する人がいる、自分を愛してくれる人がいるというのはもー最高といっても過言ではないくらい幸せなことだと思います。

今回は、現在愛する恋人がいる人、もしくはこれから恋人を作ろうとしている人にとって大事にしてあげてくださいというメッセージとともに、最愛の人と別れた人の気持ちのほんの一例を紹介するものです。あえての乱文なので、誰かのためになる文章では1ミリもありません。そして同じような境遇の人がいたとしてもその人が救われる文章でもありません。ただ単に内なる気持ちを吐き出したかっただけの文章です。書くだけ書いて前に進めたらなという希望的観測の元記述している文章になりますのでご了承ください。

 

 

私は以前世界一愛し、そして愛してくれるとても素敵で大切な人と出逢いました。

そして、お互い世界一愛し合っている状態なのに別れざるを得ない理由で別れてしまいました。

どうしようもない理由で、お互いに世界一愛しているのに別れてしまった人たちは一体どれくらい存在するのだろうか?そしてその人たちは、一体どのような方法、期間で気持ちの整理をつけ、前に歩みを進めているのだろうか?

悩み、苦しみ抜いた上でのその決断は本当に正しかったのだろうか?自問自答する日々は続く。数学の問題のように正解と不正解しかない世界だったならばどれだけ生きやすかっただろうか?人に相談しても結局は自分の人生なので、参考にはならないと感じていた。その相談という行為はただ単に自分が思っている方向性に賛同してくれる意見を求めていただけで自分を正当化したかっただけなのかもしれない。いつも物事をロジカルに考えることを常としてきただけに、矛盾をはらんだ自身の思考に発狂しそうになる。この世の中は残酷だ。これが運命とでもいうのか。試練なのか。だとしたら神様ってやつは相当意地悪なやつなんだな。それってちょっと残酷すぎないか。ひたすらそー思っていた時期があった。事実は小説よりも奇なりと言ったりするが、ちょっと残酷すぎる。こーやって、悲しみに暮れる頭の中を整理してみたが、いまだに悲しみから先にすすむ論理解を見つけることができない。失恋などに関連する記事も腐るほど読んだ。「時間が解決してくれる」だと。そんなわけない。だとしたら実体験上のこの気持ちはどう説明してくれるのだ。「他の趣味に熱中すれば忘れられる」だと。ふざけるな。お前は世界で一番愛した人をそんな簡単に忘れられるのか?むしろなぜ忘れないといけないのか。「新しい人を作れば」だと。これも試してみたが、その度に比較したくもないのに比較してしまい、別れた彼女がよりよかったと思うことしかなかった。苦悩した。自分自身に納得のいく答えが出ない。いや、正確には出ているのだがその答えの正当性が説明できない。矛盾にはらんだ二律背反の思考の連鎖に憤りが隠せなかった。誰かに私を赦して欲しかった。そして救って欲しかった・・・

ゆるふわSEとしてどれだけ腐るほど勉強し、有用な資格も取り、がむしゃらに仕事をし、会社で最高の実績を出し、最高レベルの評価をいただいてもなぜかむなしかった。そこには以前のように、「よく頑張ったね。偉いね。今度美味しいご飯でお祝いだね」と満面の笑みでまるで自分のことのように一緒に嬉しがってくれるそんな彼女はもういない。一緒に手をつないで、スーパーに買い物に行くだけで幸せ。特別なことなんて何もしなくてそばにいてくれるだけで幸せ。そんな状況は消えてなくなった。家に帰れば一人だった。この世界に一人だけ取り残されている気分だった。繁華街に出ると多くの人がいて、笑いながら話しているのが不思議だった。こんな悲しい世界にそんなに楽しいことがあるのかと不思議だった。彼女以外はもー誰も周りにいなくていー。すべてを失ってもいーから彼女と一緒にいたい。と思った頃にはもー遅かった。私はすべてを失っていた。失って初めて気づくことがあるとよく言うがまさにその通り。もはや生きている意味も若干わからなかった。そして働く意味も分からなくなってきた。なんのために働いているのか。何のために毎日勉強し、がむしゃらに仕事をしていたのか、そしてそれは誰のために・・・何のために・・・涙が止まらない。計り知れない虚無感。私には何もなくなった。賑やかだった虹色の世界は全て灰色に色づいた。楽しみはなくなった。何も考えたくなくなった。虚無感を埋めるために、毎日仕事帰りにパチンコ店でパチンコ/スロットに興じたこともあった。ピカピカ光って大きな音でド派手な演出で私の思考を止めてくれ。そー思っていた。別に勝たなくてもいー。閉店まで負け続けてお金がすっからかんになってもいー。むしろそのくらいの方が不幸のどん底のドラマ見たいで面白いかも。どんどん不幸なことが自分に起こりまくった方がドラマの主人公としては面白いし・・・そんな馬鹿みたいなことを考えていた。しかし、そんな思いとは裏腹によく大当たりした。パチンコは連ちゃんし、スロットは高設定をつかんだ。別に勝たなくてもいーのに毎日当たり小金を稼いでしまった。世の中は残酷だ。そんなお金、どこに使うんだ。数万あれば豪華な食事やちょっとしたプレゼントは買えるかもしれない。でもそれを渡す人はもーどこにもいないというのに。ちっとも楽しくないのにすごく当たった。換金した紙切れを見て私の頭は虚無感と絶望感で満たされた。

 

その時に気付いた。そうか、自分の人生はいつの日か彼女を中心に回っていたのかと。どれだけ泣いたかはわからない。なんならこの記事も泣きながら書いていたりする。びっくりしたのはこれほどまでに、人を愛し、愛されることがあるんだなと思ったことだ。人生は選択肢の連続だ。ゲームのようにセーブ、ロードなんてできず、その選択肢の連続の奇跡により、愛することのできる人と巡り合いそして結果として別れてしまったわけだ。中二病的な文章と多くの人は鼻で笑うかもしれない。でもそんな人は失礼ながら本当の意味で愛し/愛される人に出逢ったことがない人だと思う。そこに付き合っている、結婚しているなんて関係ない。

そんなある日、小林麻央さんが亡くなったニュースを見た。市川海老蔵さんの会見を見て心中を察し余りあるものがあった。二人とも本当に愛しあっていたのだなというのが痛いほどわかった。テレビでの報道は表向きだが、裏ではどんな想いなのだろう?麻央さんの最期の言葉が「愛してる」であるのを聞いたときは、私も涙が枯れるまで泣いてしまった。素晴らしい愛の形だと思った。心からご冥福をお祈りいたします。

 

すごーく長いしんみり記事になっちゃいましたが、私は世界一愛することのできる、そして愛してくれるとても素敵な人に出逢うことができました。これだけでもしかしたら最高に幸せな人生なのかもしれません。

 

ということで、皆さん!余計なおせっかいかもですが、自分の人生を最高に楽しんでください!いつもお話している通り、自分の人生は自分が主人公です。周りの人は自分が主人公のシナリオのサブキャラクターにすぎません。

他人を気にしすぎるあまり自分の幸せを逃しちゃいけません。全力で自分の幸せを追求するべきです。

私もちょっとずつむりしない程度にゆるふわSE代表として頑張っていきます(*´▽`*)

末筆ですが、皆さんが最高に愛し/愛せる人に巡り合い(すでに巡り合っている人はそのまま相手のことを愛し続けてあげてください。)、公私ともに最高に幸せと感じれる人生を送れることを切に願っております。

 

でゎでゎ☆彡