ゆるふわSEの日常♪

IT業界でゆるふわSEになりたい人あーつまれ(*´▽`*)♪

おばぁちゃんが他界してしまったので人の生と死について考える記事

つい先日のこと。

 

父方のおばぁちゃんが他界してしまった。。。

ので、あまりプライベートなことは普段書かないんだけど、自分も忘れそーなのでたまにはブログらしくその時感じたことを記録に残すとしよー。

 

 

 

 

人が亡くなるということは実に悲しいことではあるが、だいぶ高齢だったこともあり天寿を全うする形でぴんぴんころりとぽっくり突然に寿命を迎えたのだそーだ。

昨年の12月に、もー高齢だし数年会ってないということで、ワクチンも打ったし、コロナもちょっと落ち着きつつあったので弾丸的に会いに行って少しお話ししてきたばかりの出来事だった。

そのときは病気で入院とかもしてなかったし、全然普通にお話しできていたので人生いつ何が起こるかわからんなーとしみじみ。。。

大往生ということで、死に方について良いも悪いもあるのかないのかわかんないけど、あるとしたら天寿を全う出来たのは一般的には良かったのかもしれない。

 

おばぁちゃんとは、子どもの時から今の今まで地理的に離れている位置に住んでいることもあってか会えるのはせいぜい年に一度のお正月+-αくらいで、子どもの頃はお正月にお年玉として「1万円」という凄まじい大金をくれるので、まさしく現金な子どもの如くそれが凄まじく嬉しかった思い出がある。

会うことそのものよりもお小遣いに喜ぶなんて可愛くない孫だなぁって今自分で書いてて思ってしまったけどまぁ子どもなんてそんなもんでしょーw(え?違う?w)

 

おばぁちゃんとの思い出を振り返ると、上記地理的理由から実はあまりないことに気づいてしまった。

父方のきょうだいの子ども(いとこ)はばあちゃんと同じ地域に住んでるっぽい(こちらもほぼ交流なし)のできっと私とは100倍くらい思い出に差があるのかもしれない。

同じ日本といえども同じ地域に住んでるのと、遠い地域に住んでるのとではコミュニケーションの回数や質に雲泥の差が出ちゃうので同じ地域に住んでる人はその当たり前の灯台もと暗しさを改めて大切にするのがいーんじゃないかなぁと今思いましたw

 

で、おばぁちゃんがどんな人だったかというと、話し出すと早口でずーっと喋ってるよーな陽気で優しいおしゃべり好きばっちゃだった。

誕生日プレゼントにお財布を買ってもらったり、一緒に鰻を食べに行ったり、デパートのカフェでお茶したりして可愛がってもらったのを覚えている。

そして戦後?戦中?を生きていたからか第二次世界大戦中の大変な生活の話が多く、現代の日本は平和だし、モノやサービスに溢れていて食べ物にも困らないし「夢のような国」になった。

戦争だけはしちゃいかん。

戦争だけは惨めで悲惨よー。

平和が一番!!!

って会うたびに話してくれるのでそれが印象的で、子どもの頃はあまり歴史に詳しくなかったし何度も同じよーな話だし退屈なお話だなぁって思ってたけど、歴史を学んだりして大人になって聞いてみるとそーいった歴史体験を生で聞ける場もかなり少なくなってきてるし以前よりはかしこまってお話を聞いてた気がする。

まぁそれでも生まれてこの方日本で戦争なんてまーったく経験したことなかったので、歴史上の出来事として現実感ない感じでお話を聞いてたけど、そんな平和を願うばっちゃが存命のうちにロシア-ウクライナ戦争が起こり毎日テレビでその悲惨な戦争が実況中継されてるってんだから戦争を起こした奴はまじ罪深いし、ばっちゃがどんな思いでそれを見てたかと思うといたたまれないなぁって思う。

 

で、訃報を聞いた私は喪服に身を包み遠いお葬式会場に出かける。

お葬式って滅多に出ることないからその礼儀作法的なのがなかなか身に付かずその辺のマナーが煩わしいなぁって思っちゃうのは不謹慎だろーか?

どーいう風な流れでどーいう風に立ち振舞わなきゃいけないのかってのをグーグル先生に聞いて調べて、その通りにしなきゃとかいう周りの目を気にした常識に縛られた気持ちが本来の気持ちに水を差しこみまくってくる気がするので、とりあえず駆けつけて思い思い好きに悲しんだりしてどーぞって形式に変えてほしいなぁとw

 

終わった今でもいまいち理解しきれてないけど、ばっちゃのお葬式は浄土真宗の葬儀だった模様。

www.koekisha.co.jp

会場にはばっちゃが棺桶に目を瞑った状態で収まっており、親戚っぽい人がたくさん来てて、導師なる僧侶さんがお経を唱えたり、焼香したり、南無阿弥陀仏唱えたり、棺桶にお花とか好きなもの添えたりって感じもろもろでお葬式自体はおしまい。

 

お葬式では、心から悲しんで泣いてる人もいれば、もしかしたら邪推かもしれないけど形式上悲しんでいる振りをしてる?あまり悲しそーじゃない?人もいるのかもしれずいろんな人がいるもんだなーと思った。

まぁ今までの介護がどーとか、それまでの関係性がどーとか、残された遺産がどーとか、そーいった大人の事情があるのかどーか孫の私には全くわかんないし知ろうとも思わないけど、そーいう大人特有の気持ち悪さを少し感じた。

まー気のせいかもしれんけどw

「子孫に美田を残さず」って言葉があるけど、これは割と真理をついてるよーな気がしないでもないので私は出来ることならDIE WITH ZEROを実践していきたいと思うw

 

んで生まれて初めて霊柩車なるおっきな車に乗って火葬場に行き、ばっちゃはものの2時間くらいで火葬されて骨になり、骨壷にみんなでお骨を入れて大枠終了でした。

 

移動も含めて丸一日がかりで結構疲れたけど、あっちゅーまだった。

昨年の12月に会話してたのに、今は滞りなく流れるよーに儀式が行われいつの間にやら骨壷に収まっているのである。

人が死ぬときはあっちゅーまなんだなーって思った。

 

浄土真宗では死後、「極楽浄土」という苦しみが全くなく楽しみだけがある世界に迎えられるのだそー。

なにそれすごいw

私は無宗教だけど、ばっちゃは極楽浄土で既に先立ったじっちゃと思う存分おしゃべりするなり、楽しんでくれてるといーなぁと思った今日この頃ですた!

 

おしまい!