ゆるふわSEの日常♪

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投資をし続けることは果たして本当に幸せなのか問題について考える

今回は不定期開催の「幸せについて考えてみるシリーズ」、投資編。

 

をやっていこうと思う。

 

これは頭の中でふっと思ったりした抽象的な事柄を、つらつらと言葉にしてみることにより具象化すれば、ややもしやなんかしらの真実が浮かび上がるかもしれないし、そーじゃないかもしれない。

という、「それって、あなたの感想ですよね?」な試みだ。

 

世間では来年から「シン・エヴァンゲリオン」ならぬ、「シン・NISA」なるものが始まるということで浮き足立っているよぉな雰囲気を感じるが、そんな世間の流行に流されることなく、思考をアウトプットしていくとしよー。

 

 

 

 

まず、「人はなぜ投資をするのだろうか?」

という根源的な問いについて改めて考えてみると、答えはおそらく一つしかない。

 

それは「お金を投じることで、お金を増やすため」である。

 

その会社の事業が好きで応援している。

等、その他投資理由もあるにはあるだろうが、第一義的な理由として、形はどうあれ「お金を増やすため」という目的が存在しない人は、石油王のよぉな人を除きほぼ皆無であろう。

投資は寄付ではないのだ。

100%の確率でお金が減ることが分かっているならば、そんな銘柄を買う酔狂な人はいない。

みんな第一義的な目標としてお金を増やしたいがために投資をするのである。

 

それは、パチンコ/スロットに興じる時に、どんなに好きな版権の台を打とうが、「勝てば嬉しい神台認定」、「負ければ激おこでく⚪︎台認定」なのとほぼ同義かと思える。

パチ屋に入ると心に決めた人間で、負けよぉと思ってあの自動ドアを潜る人間は存在しない。

パチ屋に入る人間は、ほぼ全員「今日の俺は勝つる」、「俺ならイケる」、「あわよくば万枚、いや今の時代だと2000枚くらいで勘弁してやってもいーぞ」等と思い、全体的には営利企業であるパチ屋側に絶対的に利益が出るように設計された確率の壁をも超越する謎の自信を胸に入場するのである。

 

そーいえば、

「投資は寄付ではないのだ。」

というキャッチーな殺し文句をうまく生産できたところで、このフレーズとよく似たフレーズがデジャブ感のよぉにフラッシュバックしてきた。

それは、以前職場で新規ビジネスを社内で考案/提案してた時に、よく上長に言われていたフレーズ。

「ビジネスはボランティアではないのだ。」

である。

それは、私にとってその上長の必殺の殺し文句であった。

会社という組織は、どんなにSDGsやESGなどの社会貢献を謳っていても、結局のところ第一義的目標は「営利」なのである。

売上を上げ、利益を上げないことには話にならない。

株式会社の目標は上記。

そして、その株式会社に投資をする投資家の株式投資もまた上記であることは自明の理なのである。

 

また、これは蛇足で当時の記憶もかなり曖昧なのであるが、その時に提案したITサービスは確か3年くらいで投資予算が回収できて、そこからは利益が出続けるよぉなサブスク型のサービスであったと記憶している。

いかんせん、1ヶ月くらいという超短期間で、サービスの考案、市場/競合調査、技術的な確認/検証や収支計画などのビジネスモデルを全て立てたため、多少荒削りにならざるを得ないところもあったり(競合他社のサービスより優位性を出すために、低価格路線で勝負することにした。てかこの短期間ではそれしかできなかった。)したが、上長からしたら、そもそも3年後に黒字ということ自体ナンセンスらしく、少なくとも1年で黒字にするくらいじゃないとそもそも検討の俎上にすら上がらないらしー。

きっつー。

そこでプレゼン後に言われた言葉が、

「ビジネスはボランティアではないのだ。」

という、

るろ剣で言う「天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)」

飛影で言う「邪王炎殺黒龍波」

なのである。

もちろん、1年で黒字にする価格設定にすると、完全に他社より高価格となってしまい低価格路線の優位性は確実に崩れてしまうことは言うまでもなく、この世界線は結局実現しなかった。

つまり、まぁ会社の方針にももちろんよるところだが、このくらい営利企業は利潤とその確実性を追求する組織なのである。

「ビジネスはボランティアではない。」

し、

「投資は寄付ではない」

のだ。

 

 

閑話休題。

 

 

ここまでは、投資は基本的にお金を増やすために行ってるよねというお話。

 

で、最近では結構投資を始める人も増えてきているそーだ。

Youtubeには投資系Yotuberの動画が腐るほどあるし、経済について論じている人たちも多い。

ブログにも(弊ブログもそのうちの一つだが)、自身の投資経験や行動、思考。なんなら、具体的な損益をも含め資産情報を赤裸々に公開している人も珍しくはない。

テレビやニュースで投資の特集が組まれることも多くなってきたし、桐谷さんやテスタさんや井村さんのよぉに投資系の著名人も増えてきた気がする。

政府は投資を推進し、来年には冒頭の新NISAが始まるとのことで、それに息を巻いている人もちらちらいる印象だ。

 

と、このよぉになんか投資界隈は盛り上がっているよぉに見えないこともなく、投資をしないと損。みんな投資をしよーみたいな雰囲気がないこともないよーな気がするけど、ここで少し立ち止まって問題提起をしてみたいと思う。

 

それは、

「投資をし続けることは果たして本当に幸せなのか問題」

である。

 

これは投資を全くせず仕事に全振りした後に、投資に全振りしてみた私の実体験上感じる、未来へのある種の危惧とも言い換えることができ、多くの人間にとっておそらく経済合理性だけでは語ることのできない問題なのだ。

投資をしない世界線。

投資をする世界線。

投資をした場合、その後どうするかの世界線。

についての検討なのだ。

 

前述の通り、人はなぜ投資するのか?の答えは、「お金を使ってお金を増やすため」と解を出したが、、、

ということは人はどこかで、その恩恵を享受しないと投資をした意味が全くない。

ということになる。

つまりは、「利確」だ。(利益が出てる前提だけど)

これをどのタイミングでどれだけするかというのが非常に重要だと思うのだが、周知の通りこれが非常に難しいし、もしかしたら最適解というのは存在しないのかもしれない。

 

ブログやYoutubeやTwitterを見てて一つ気になっているのは、投資手法を論じたり、投資結果の進捗を公開してる人は腐るほどいるけど、その恩恵を享受。つまりはちゃんと取り崩したり、利確して、「当初の投資の目的を達しています。」って人をほとんど見かけないこと。

これを投資のゴールとして投資を始めるはずなのに、ゴールした人の情報をほとんど見ないってのがちょっと気になる気はする。

積み上げましょー、枚数を増やしましょー、と、永遠に投資行動を頑張ってる人は多く見かけるがその先は・・・?

 

で、よくあるのが、インデックス投資で毎月x万円積み立てて、現時点これだけ利益が出ました。嬉しい。幸せ。この調子で積立頑張ってこー!って感じのはあるあるなんだけど、、、

これって、冷静になって考えてみると、含み損同様幻の側面もあって、、、

お金は単なる財やサービスと交換するためのツールであり、それを使って初めて意味があると考えると、

 

「まだ、1円も恩恵を享受してない」

し、なんなら

「もし、投資をしていなければ、その投資の資金拘束分だけ他のことに使えた」

 

とも言え、投資とはある意味、

「資金拘束をすることで、幸せを先送りにする行為」

とも言えるかもしれないなぁと。(しかもちゃんと利益が出て利確できれば)

 

例えば、下記のよぉな同じ給料の人が2人いた場合、、、

・月に積立NISAの上限である33333円を頑張って捻出し、投資するAさん。

・投資行動を全くしないBさん。

 

Bさんの場合。

月に33333円あれば、それを家賃に振り向けたとすれば、1ランク上のお家には住める気がするし、外食にだって結構いけちゃう。

サラリーマンのお小遣い平均は4万くらいのよーなので、全額お小遣いに振り向ければ、なんとお小遣いはほぼ倍。

corp.sbishinseibank.co.jp

また、これだけあれば現在の物価上昇分くらいは吸収できそーな気もする。

つまり、結構でかい金額だ。

 

対してAさん。

過去実績から見れば、積立インデックス投資であれば大抵はパフォーマンスが出ると聞くが、もちろん未来はわからない状態で、これだけの資金拘束が続く。

今月も、来月も、、その先も、、、、、

投資したその先にある良き未来(つまり利益がたくさん出ること。だけどゴールは漠然。)を信じて頑張る。

しばらく経って、口座を見てみると額面上は利益が出ているよぉだが、投資により別に生活が豊かになってる気はしない。(利確してないので当たり前)

また、Bさんは投資をしていないから、相変わらず自分よりちょっと良い生活をしているよぉに見えるが、自分は未来を信じて我慢我慢。

我慢?あとどれだけ?

1年?5年?10年?20年?30年?

あれ、なんのために投資してるんだっけ?

生活を豊かにするために投資してるのに、生活豊かになってな・・・

 

と、まぁ単純に積NIしてるorしてないってだけで、シミュレーションしてみましたが、これって結構「どっちが幸せ?」って聞かれて、明確に答えを出すのって難しいんじゃないかなぁって思う。

経済合理的に考えれば、投資行動を取ってるAさんの方が良さげな気がするけど、未来はわかんないし、その資金拘束がなく消費に使うことができればその分生活が豊かになることは確実。

 

なので、実は投資で利益を出してるよぉに見える人も、利確してないのであれば、投資してない人よりも豊かさを享受できていないはず(含み益を見て心が幸せってのはあるかもだけど)っていうのは、割と見過ごされがちな側面なんじゃないかなぁと思う。

(こういうのもあって、経済的には一番合理的に思われるインデックス積立一辺倒じゃなく、高配当銘柄の配当や優待銘柄の優待により少しずつ恩恵を享受したりするのかもしれない)

 

また、投資っていうのは、やってみないとわからない魔力のよぉなものがあるよぉな気がしており、もちろん人にもよるが、利益が増えたら嬉しいので、その元本を増やすためにもっともっとと投資行動に傾倒し、過度に節約、今の生活を犠牲にしすぎちゃってるよぉな人もぽちぽちいるよぉな気がしていて、もちろんそのリスクに応じたリターンを取りにいっているわけだから本人にとっては本望なわけだけど、この辺のバランスもちょっと重要かなぁと思ったり。

今を犠牲にして幸せを先送りにし過ぎるあまり、大金を抱えた体もまともに動かせないよぼよぼの老人は一体何を思うのだろう。それって幸せなのか?

その状態でそんな大金を一体何に使うんだ?

これが自分の思い描いていた投資の目的達成の姿なのか?

っていうのは人生で一度は考えてみてもいーかもしれない。

なかなかに恐怖だけど・・・。

墓に金は持っていけないのだ。

 

あと、本筋からはちょっとずれるけど、多くの人が少額でも投資行動を始め、それを利確するのが例えば老後を見据えた数十年後とかになったりすると、確かに企業にとっては投資により良い状況が生まれるかもだけど、消費者は投資した分の資金が拘束されちゃうので、消費がその分抑制されるよーな気がするから、あまりにも多くの人が投資行動を取ると短期的にはあんまし良くないのかもなぁと思ったり。

(心配しすぎ?)

投資により消費が抑制される時代がしばらく続いた後は、大利確時代が来て、消費が増える?

(それとも投資により企業業績が良くなることで、給料が増え、資金拘束されてても消費はあんま減らなかったりする?)

のかどーかはわからんけど。

 

とまぁ、色々考えてみたけど、なんらかの答えが出るよぉなものでもなく、未来も自身の寿命も不確実だから結局は、自身で色々調べたり考えたりしてみましょー。

って、とこに落ち着くわけだけど、

 

「投資をし続けることは果たして本当に幸せなのか問題」

 

これはまー人生で1回はじっくり考えてみてもいーかもしれませんね!

 

以上、おしまい。