ゆるふわSEの日常♪

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天才を救え!「天才を殺す凡人」を読んだ感想を語っていく♪~職場の人間関係に悩む全ての人へ~

おはこんばんちは!

ゆるふわSEの「ゆるちょここ」です♪

 

皆さんは自分のことを「天才」だと思いますか???

それとも「凡人」だと思いますか???

もしくは「秀才」だと思いますか???

自分で自分のことを「天才や秀才」だと思ったり、人に言ってる方って、まぁその恥ずかしさも相まってなーかなかいないとは思いますw

かといって、自分で自分のことを「凡人」って思うのも、自分の人生の主人公は自分なだけあって、なんとなーく負けた感あって微妙かもなーと思ったりしますw

で、私はなんとなーくですが、時と場合にもよりますが、人生の中ではどんな方でも、「天才や秀才」になりうる可能性はあるし、もちろん「凡人」にもなりうる可能性はあるんじゃないかなぁと漠然と思ってたりするって感じです!

 

このあたりの「天才」、「秀才」、「凡人」等の才能や努力に関することは、以前いくつか考えてみたことがあって、 天才や秀才的なすっごーい人に会ったお話や、、、

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そーいったすっごーい人たちの離職を防ぐ方法とか、、、

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会社員にとっての優秀さについて考えてみたりして、奇遇にも今回ご紹介する本と似たよぉな感じで、会社員として出世する優秀さは秀才さが必要なんじゃないか?!

(会社員に適合できない超優秀な人(天才)は組織に入っても凡人に殺されるんじゃないか?!)

ということを考えてみたことがありますが、、、

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今回は、まさにそーいった、天才、秀才、凡人という3つの属性に位置する人たちの関係性を見事に解説したベストセラー本である「天才を殺す凡人」という本をジャケ買いして読んでみましたぁ♪

「才能・組織・社会をめぐる全く新しい見取図」を提供してくれる、とても示唆に富んだ超良書かと思いましたので早速その感想をばちょーっぴりだけ紹介していーくよっ☆彡

誰でも凡人にも、秀才にも、天才にもなりうる可能性があるし、そーいった人たちで構成される組織/社会で生きる我々にとっては超必見な内容かと思いましたので、なかなかにおすすめのビジネス本になります(´・∀・`)♪

 

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おすすめのポイント♪

※出版社様HPより抜粋

天才肌の女性創業者社長に惚れ込み、起業に加わって10年。会社は大きくなったが、新事業は振るわない。「社長は終わった」などという声も聞こえてくる――。
そんな悩みを抱える広報担当の青野トオルは、謎の犬ケンと出会う。
関西弁と東北弁がまざった珍妙な言葉を使うケンは、トオルの疑問に当意即妙に答えていく。
人間の才能とは何か、なぜ人はすれ違ってしまうのか、私たちは自分の中にどのように才能を見い出し、どうやって伸ばしていけばいいのか。
今最も注目されるビジネス作家が90分で読める物語にまとめた、超・問題作!

 

世の中には「天才」と「秀才」と「凡人」がいる。三者の間にはコミュニケーションの断絶がある。
凡人は天才を理解できず、排斥する。秀才は天才に憧憬と嫉妬心を持つが、天才は秀才にそもそも関心がない。
秀才は凡人を見下し、凡人は秀才を天才と勘違いしている――。
18年3月16日にネットに配信された「凡人が、天才を殺すことがある理由。――どう社会から「天才」を守るか」と題されたコラムがバズ(BUZZ)った。

 

ビジネスコラムとしては、異例の30万PV、フェイスブックのシェアは2万4000に達した。
またビジネス向けネットメディアであるNewsPicksに転載されると、その反響(コメント)は2200に及んだ。
さらに、このコラムの反響を取り上げた2回目のコラム「天才を殺すのは、実は「秀才」ではないのか?等への回答10選」も、フェイスブックのシェアだけで5000を超え、「天才・秀才・凡人」を巡るネット上の議論はなお続いている。

 

本書はこのコラムをストーリーにし、書籍化するもの。

 

「天才、秀才、凡人の評価軸の違い」「経営におけるアートとサイエンス」「イノベーションと飽き」
「それぞれの人の中にいる天才、秀才、凡人」などの議論を展開していく。

 

著者の紹介♪

※amazon様より抜粋

北野 唯我
兵庫県出身。神戸大学経営学部卒。
就職氷河期に博報堂へ入社し、経営企画局・経理財務局で勤務。
その後、ボストンコンサルティンググループを経て、2016年、ワンキャリアに参画。
執行役員として事業開発を経験し、現在同社の最高戦略責任者、レントヘッドの代表取締役。
著書に『このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法』(ダイヤモンド社)。

 

印象に残ったセンテンス♪

色々あるのですが、本書でいーたいことは実はたったの下図に全て集約されています!

で、その論拠を説明するために丸々一冊本をストーリー仕立てで書いたっぽく見えましたので、本書を全部読めばこの図の理解が深まるって感じですね☆彡

自分がどーいった場面でどの属性に当てはまるかっていうのを考えて、、、

「あー、同じよぉな気持ちを抱いたことがあるのかも?!」

って思うとちょっとエモいかもしれませんね(´・∀・`)♪

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この世界は天才と秀才と凡人でできている。

でも、三者は殺しあうことがある。

<天才と凡人の関係性>

・天才は凡人に対して、本当は理解してほしいと思っている。

 が、、、

・凡人は天才を、理解できないから排斥する。

 

<天才と秀才の関係性>

・天才は秀才に対して、興味がない。

が、、、

・秀才は天才に対して、妬みと憧れの相反する感情を抱いている。

 

<凡人と秀才の関係性>

・凡人は秀才に対して、天才だと勘違いしている。

 が、、、

・秀才は凡人を、心の中で見下している。 

 

感想♪

うわー、面白い本だったー!!!w

ポイントは組織や社会には天才が圧倒的に少なくて、ほぼ凡人で占められているってとこですね!!!

で、天才はむーっちゃ凄い才能を持ってたりするのですが、それが悲しいかなほぼすべての凡人には理解されないので、異端として数の暴力で凡人に排斥されてしまう。。。

でも、実は天才はきっと「私ってすっごいでしょー(`・ω・´)シャキーン!!!」って多くの秀才みたいに自慢したいわけじゃなくて、割かし普通の人に、ただ単に「理解してほしい」ってだけだったりするけど、それがじぇんじぇん理解されないのが辛くてとっても悲しい(´・ω・`)

そーやってすっごいずば抜けた才能のある天才が認められないがために大衆に殺されていく。

こんな感じで天才はほんの少数でも理解される場がないと、救われずに凡人に殺されちゃうってことなんですねー。。。

で、凡人は秀才を天才だと思っているので、組織や社会の中では意外と秀才が天才として祭り上げられてて、多くの人に認められて「すっげー(´・∀・`)」って言われてその地位や権威を向上させていく。

そんな状況を見て、秀才はますます活躍したりしちゃうんだけど、秀才も時に自分を天才と勘違いしちゃってて「自分は凡人とは次元が違う」とか思ってたりするから、凡人を心の中で見下しちゃったりするんだけど、実は「本当の天才には勝てそーにないなぁ(´・ω・`)」ってなんとなく心の中で悲しいかな理解しちゃってるから、天才には羨みと妬みの混合した気持ちを抱いたりする。

そして、秀才も天才を排斥していく。

え?!Σ(・ω・ノ)ノ!

これじゃ天才はみんなから排斥されちゃうから救われなくね?!?!?!(´・ω・`)

きっつー(´・ω・`)w

でもきっと、そんな感じの構造なんじゃないかなぁと私の実体験上でも理解しましたw

私が今まで出会ってきた様々な人達もほぼこの構造に当てはまっているよぉな気がしていて、多くの人が「すっげー(´・∀・`)」って言ってるのはたいてい「秀才」で、多分この人変な人だなーとか、変わった人だなーって思ってる人が、実は多くの凡人には理解できないだけで「天才」だったんじゃないかなーと思ったり。

多分多くのインフルエンサーと言われている人たちも、実は「秀才」が圧倒的に多くて、「天才」は「凡人にも分かりやすい分野で活躍した人」であったり、「その天才加減が凡人にも分かりやすく説明され凡人が理解できるよーになった人」だったりと、割と小数なんじゃないかなーって気がします!

人は悲しいかな自分の理解できない事象や人を理解するというよりは、排斥しよーとする傾向があったりします。

なので、そーいう変な人と思われてしまう天才(本当にただの変な人の場合もありますがw)は、確かにその凄さを理解できない人たちから見たら排斥の対象になっちゃったりするんですよねー。。。

なので、組織では必然的に秀才さんが目立っちゃうわけですが、もし天才が自分の組織にいたらそれをきちんと認めてあげてその才能を活かす場所を設けてあげて、多くの凡人にそれが本当の天才だと理解させてあげることが大事かなーと思うし、

天才はその才能を活かして認めてもらえる可能性のある場所にいないと、それを活かすのが難しく、また凡人に排斥されて殺されてしまう可能性が高いので、天才は自分をなんとか認めてもらえる可能性が高い場所を探す努力をするのがいーんじゃないかなーとか思ったりしました!

あとは、社会はその殺されてうずもれてしまう天才ができるだけ少なくなるよーに、その天才を救い/掬いあげてあげると、殺される天才が減っていー社会になるんじゃないかなーと思います!!!

 

その点、Youtube、ニコニコ動画、ブログ等のネットメディアからある種の天才的才能を評価され、メジャーになっていく人達とかは、ネットの発達により出てきてるからいーかもなーと思ったりします!

 

あとはビジネスの世界は分かりやすいのですが、お金になりずらい芸術系の分野にはうずもれている天才は多いよぉな気がします。

そんな超天才的な才能が必ずしもお金を稼ぐことに直結するわけじゃない場合は、天才なのに、その才能とは全然関係ない領域のアルバイトとかで生活するためのお金を稼がなきゃいけなかったりして、そーいうのを見ると「なんだかなー(´・ω・`)」って気がしちゃいます。

一つ例を挙げると、「大西拓磨さん」という方!

ふっとネットサーフィンをしていて見つけた下記の記事をみてみたところ、、、

ima.goo.ne.jp

もー「なんかよくわからんけどすごい(´・∀・`)w」みたいな感想を抱きましたが、この方はこの記事きっかけ?!かどーかは分かんないですが、その才能がうまく発掘されたみたいで、本当に良かったなーって思いました!

テレビの特集かなんかで、普通に「友達が欲しい」とか、「人に理解されたい」とか、凡人が簡単にできるよーなことがうまくできなくて悩んでる様を見て、本書的にはこーいう人がいわゆる殺されかけた天才なんだなーと思っちゃいました。。。

芸術関連はじぇんじぇんわかんないですが、なんかすごそーなので私は彼をすっごく応援していますよ!!!w

そーいう意味では、救われる天才は技術の発達に伴って増えてきたかもなんでいー社会になりつつあるなーとか思ったりします♪

 

みなさんはどー思いますか?

 

長くなっちゃったけど、今回の感想はそんな感じ!w

興味のある方はみてみてくださいねー☆彡

 

その他書評♪

色んな本の書評を書いてるので興味のある方は要ちぇきら☆(ゝω・)vキャピ

www.yurufuwase.com

 

でゎでゎ☆彡