おはこんばんちは!!!
ゆるふわSEの「ゆるちょここ」です♪
ずっと憧れていた場所に念願叶って足を踏み入れても、「なーんだ、そんなもんか」と思うことがよくある。もしかしたら人生というものは、「そんなもんか」の連続なのかもしれない。
とってもエモい文章を書く人を見つけてしまった(´・ω・`)w
この引用文は「意識高い系中島」さんという方の書いた文章の冒頭の一文ですが、中々もって真理を突いていそぉだったので、私もちょっと思う思考を言語化していきたいと思います。
彼は学生時代の終わりに今までの経験をもとに個別具体的に、達成するまでに描いていた達成後の姿とその気持ちの良い感覚が、実に達成してみると一瞬にして雲散霧消してしまい、「なーんだ、そんなもんか」の連続だったという話をしており、この先もそーなのかもなぁという懸念を呈して文を締めくくっています。
なので、その後送るであろう社会人生活においての懸念という仮説について、私の経験をもとにちょっぴりだけ検証という考察をしていきます。
本記事を読む前に、上記引用記事を読んでおくと分かりみが深くてエモいはず!w
「なーんだ、そんなもんか現象」はなぜ起こるか?
「喉元過ぎればなんとやら(喉元過ぎれば熱さを忘れる)」という言葉がありますが、この「なーんだ、そんなもんか現象」は完全にそのことわざが言い表している現象かなーと思います。
その原因としては、大きく下記3つの要素があるんじゃないかなーと分析します。
1.理想と現実のギャップ
2.獲得するまでの過程と、獲得した時の感覚に人はエモさを感じる
3.慣れによる限界効用の逓減
下記、それぞれについて簡易に解説を入れていきます!
理想と現実のギャップ
人はまだ手に入れていない理想の状態に憧れを抱き、手に入れたいと思い、手に入れた状態を夢想し、それに向けて頑張る素敵な生き物だったりします!
が、、、
この理想像があまりに高く、頑張って手に入れたにも関わらず現実の感覚とは大きな差分があった場合に、「なーんだ、そんなもんか現象」は高確率で起きるよーな気がしています。
もしくは頑張った結果理想と現実のギャップを埋めてしまった場合にも起こり得るって感じですねー。
例えば、私は子どもの頃、大人ってみんななんだかむっちゃすごい人達なんだろーと漠然と思っていました。
身近な大人が少なかったので、近しい大人を手本としてそんな感じに自分もいつかなるんだろーなぁ(良いか悪いかは別として)とか思っていましたが、、、
じぇんじぇんそんなことはなくw、ほぼ子どものころのメンタルのまま大人になれちゃいましたし、大人社会にまみれてみると、すっごい尊敬できるよぉな人や天才的な人や超優秀な人ももちろんいるけど、、、
変な人や、やべー人もいっぱいいることは知ったし、「なーんだ、そんなもんか」って気はしましたw
また、若手社員のころは、企業の偉い人やリーダ格の先輩方達とかは超凄い人達なんだろーなぁという「理想」を持っていましたが、いざ自分が知識/技術を高めて、数多くの経験を重ねていき、実際に話してみると「現実」は「自分と同じ一人の人間」で、考えていることや実際にやっていることを含めても別に手が届かない存在ではないし、努力と経験と社歴と(一部運)の延長線上でしかないということも分かり「なーんだ、そんなもんか」って気もしましたw
前者は理想が高かったけど現実はそこまででもなかった例。
後者は高い理想に実際に近づいてみてわかった現実の例になります。
今までの経験上、憧れていたものは手に届くようになった瞬間、急激に輝きを失う。
と、彼も言っている通り、、、
もしかしたら理想の現実化、もしくは現実化に手が届き想像できるレベルになれば「そんなもんか現象」が起こる可能性が高いのかもしれません。
獲得するまでの過程と、獲得した時の感覚に人はエモさを感じる
彼の例では、ほぼ「かなり高いと思われる理想」と、「それに近づく努力」をし、「理想を現実化」したときに、「そんなもんか」現象が起きているよぉに見えます。
「①理想⇒②理想に近づくための努力⇒③現実として理想を手に入れる⇒④そんなもんか」
という図式です。
これはかなり分かりみが深いなぁと思っていて、これこそ「喉元過ぎればなんとやら」で、私も浪人して受験勉強を一生懸命頑張り、一般的にはそこそこ良い大学に進学したり、、、
社会に出てから、IT系の資格を取りまくって知識/技術を高めまくったり、
エンジニアとして血と汗と涙の「経験知」という可視化しづらいノウハウや、
ビジネス全般に関しての知見をまとめて備忘も兼ねて公開してきたりましたが、、、
「①理想⇒②理想に近づくための努力⇒③現実として理想を手に入れる」
までの過程が一番エモく、ドーパミンが出て気持ちの良い状態だなぁと感じましたので、大学に合格したり、資格試験に合格したりすると、もーその大変さとかはすっぱり忘れちゃって、既に手に入れたものに対して「④そんなもんか」ってクールダウンするのも無理はないかなーと思いますw
様々なお仕事の完遂についてもこれに似たよぉなものがあり、なので区切りとしてプロジェクトの打ち上げが重要なんじゃね?!
って話を以前させていただきましたが、、、
このよぉに、獲得するまでの過程と、獲得した時の感覚に人はエモさを感じる生き物で、達成後はグラデーションのよぉにその高ぶる気持ちは右肩下がっていき、クールダウンしちゃうんじゃないかなぁって気がします。
慣れによる限界効用の逓減
「慣れによる限界効用の逓減」というのも「そんなもんか現象」の一つ要因としてはあると思います。
以前、セルフ働き方改革の一環で、、、
今までの家賃の倍額である新築高級マンションに好奇心も相まって住んでみたというお話をさせていただきましたが、、、
その凄さ、新鮮さの感覚はまー1年も住めばほぼ完全になくなっちゃいましたw
これはそれが贅沢にも「慣れにより当たり前になってしまったから」だと思うのですが、恐らくこの2倍や3倍以上の額を出してさらなる超高級のタワマンに住んだとしても、単に「部屋が広くなる」であったり、「共用で利用できる施設が増える」であったり、「部屋に新しい機能が追加される」であったりと、「想像しうる+αの延長線上の付加価値が付くレベル感しかない」というのがなんとなく見えちゃってるので、知的好奇心を満たすという意味合いで、家に関しては「そんなもんか」とより上を目指す興味はなくなってしまいました。
これと同様のことは食事などにも言え、一人数万円するであろー超高級の焼肉やお寿司、イタリアンや料亭等でご飯を食べたこともありますが、一度経験するとその時の刹那的な満足感は最高潮に達し、嬉しさも半端ないですが、その後は限界効用が逓減していき、同じものを二度目以降に食べた時の満足感は一度目を超えることは中々ないよーな気がしています。。。
前に書いた通り、贅沢は滅多にしないから希少価値が発生するのだし、、、
「舌を肥やすな、飯がまずくなるぞ」とどこかの誰かが言ってたような気がしますが、それはまさにその通りで、どんな食事でもうまうまと美味しく食べれる能力があればきっとかなーり幸せだし、そのためには幸せを感じる閾値は低い方が良い。
別にお金を掛けなくったって、楽しめることはたーくさんあるし、、、
物を買わないと幸せを感じることが難しい、お金を使う遊びじゃないと幸せを感じることが難しいっていうのは、その刹那的快楽を得続けるために、お金を常に必要とするという点でコスパがすっごくわるいと思うんですよねー。。。
このよぉに、人が感じる感覚というのは、その「理想」⇒「初体験」に至るまでに最高潮に達し、一度体験を記憶してしまったら、同じよぉなレベル感においては、感度が下がってしまうので、そんなもんか現象に陥りやすいんじゃないかなぁと思ったりします。
だが、「そんなもんか」の連続で人は成長する
「そんなもんか」というのは割と「物凄く人間っぽい感情」できっと誰でも抱くものだけれど、その理想を手に入れる過程や、手に入れること自体はとても素晴らしく、気持ちの良い事だし、その刹那的連鎖による経験値により人はレベルアップしていくんじゃないかなーかと思います。
なので、人生は確かに「そんなもんか」の連続かもしれないが、それだからこそ「儚く美しい」んじゃないかなーと思うのです。
「そんなもんか」の先に広がる世界を夢想する
「そんなもんか」と感じやすいのは一般的に、「大学までのお勉強や、普通の会社員としての出世ルートなど、ある程度の努力に比例して獲得しうる理想の未来」。
つまり「レールに沿った人生」が大半で、ルールがあるよぉでない資本主義という名のビジネス社会においては、「想像もしえない未来」があったりして、そういう「破壊的イノベーション」のよぉなものを「理想」として「現実化」を目指すと、きっと「そんなもんかのその先が見えてくる」んじゃないかなーと思ったりします。
そーいった意味では社会に出て自分の頭で一生懸命ビジネスを考えるというのは面白い!
ということで、彼は学生時代までの経験をもとにした考察でしたが、社会にでてからの部分を補完した考察を付け加えてみて、付加価値を付けてみましたが、いかがでしたでしょーか???w
皆さんは今何を目指してて、どんなエモい気持ちを抱いていますか?!
世の中結果ばかりが重視され、それで評価されることが多いですが、その結果を出すまでのエモい過程も楽しんでいきたいものですね♪
自分にとっての新しい体験や、さらなる高みの目標を小出しにして、その過程と達成までのエモさ、達成後の刹那的エモさの極大化とそのグラデーション的なエモさの消失を感じたり、小さなことに幸せを感じれるよぉにするっていうのもなかなかエモいかもしれませんね☆彡
でゎでゎ♪